2015.03.29 sun

公開対話(35)  土野繁樹  ×  梅本龍夫

公開対話(35)  土野繁樹  ×  梅本龍夫



(34)2015.03.07


ドルドーニュは早春です。庭のスミレと水仙が咲きはじめました。雲一つない快晴の今日、薔薇の小枝や藤の蔦を切り、北へ向かう鶴の大編隊を眺めていました。
 
しかし、世の中騒然としていますね。“イスラム国“による人質の斬首、火刑、シャルリー事件とまるで中世に逆戻りしたような残酷なことが連続して起こり、日本人もフランス人も動転していると思います。
 
しかし、20世紀の歴史をひも解いてみると、同じような残酷物語が溢れています。その最大のものは、第二次世界大戦中のナチス政権による600万のユダヤ人集団虐殺でしょう。ぼくは今,最も優れたヒトラー伝と言われるIan Kershaw の“Hitler”(2000刊)を読んでいますが、いかに残酷な政権であったかがよく分かります。
 
ヒトラー暗殺未遂事件を描いたトム・クルーズ主演の映画「ワルキュール」をご覧になったと思いますが、上記の伝記のなかで詳しく書かれています(映画はほぼ史実に忠実)。1944年7月20日、シュタウフェンベルク大佐がヒトラー総統の出席する大本営の会議室に時限爆弾を仕掛けて爆発させたが、奇跡的に総統は助かります。この作戦は、軍の幹部を巻き込んだ大規模な暗殺計画でした。ヒトラーは、計画に参画した5000人を処刑し、首謀者はピアノ線で釣るされ殺されました。ヒトラーはその記録映画を見て、溜飲を下げていたといいます。
 
暗殺未遂のあと、ヒトラー警護は1000人体制になり暗殺は不可能になり、独裁がますます強化され「パリを廃墟にせよ」との狂った命令までだす事態になります。反ヒトラー派の首謀者はこの戦争はドイツが負けると考えていたので、暗殺成功のあと臨時政府を樹立し、連合国との和平交渉に入る準備をしていました。歴史に「もし」はありませんが、ドイツが早期に降伏していたら、その後の犠牲はあれほど大きくはならなかったでしょう。開戦から暗殺未遂までの4年間のドイツ人の死者200万、それ以降の9ヵ月で400万の死者がでていますから。
 
同様なことが日本でもありました。1945年2月、近衛文麿は天皇への上奏文のなかで「見込みのない戦争」「敗北必至」と警告していますが、8月15日まで軍部は現実を無視して一億玉砕を主張し、原爆が落とされるまで降伏せず、全国都市への空襲、沖縄戦、神風特攻隊などで多大な犠牲者だす結果になりました。この間、どれほど多くの敵味方の兵士と市民が命を落としたことか。
 
「敗北必至」と言った近衛の分析は正確ですが、日本に破局を招いた太平洋戦争への道に直結する日仏独三国条約を妥結した時(1940年9月)の首相ですから、無責任な政治家です。
 
そもそもヒトラーの史上最大の「悪の帝國」と同盟することが、いかに不名誉なことかを論じる新聞、雑誌が当時あったのでしょうか。ぼくが知る限りただ一人、永井荷風がその日記のなかで「侵略不二(ならぶものがない)の国と盟約をなす。国家の恥辱これより大なるはなし」と記しているだけです。
 
戦争がもたらす残酷は個別の斬首や火刑の比較になりません。
 
さて映画「アメリカン・スナイパー」が話題になっているようですね。ぼくは見ていないので論評する資格はないのですが、村のリトアニアの友人(人類学者)のロンから聞いた話を思いだしました。ロンがコロンビア大学院生だった1963年11月23日、ケネディ暗殺のニュースが流れると衝撃のあまり、ただ一つを除いて学内のすべての講義が中止になったそうです。唯一の例外は、文化人類学者マーガレット・ミードで、彼女は90分間アメリカのGun Culture(銃 文化)をテーマに講義をしたそうです。ロンは彼女を学者の鏡として尊敬しています。
 
銃を通じて世界と人生を語る映画がアメリカにはなんと多いことか。日本の戦後70年は幸いにもその種の文化は育ちませんでした。これは幸いなことでした。
 
中東の混乱の歴史的要因についてエッセーをとのご要望、心しておきます。
 
英国のIndependent紙のベテラン中東記者Robert Fiskが書いた国際的ベストセラー“The Great War for Civilization :The Conquest of the Middle East”(2005年)があります。この本は第一次世界大戦から現代までの欧米とアラブ世界の関係をテーマにした1300頁の大著で7,8年前に買ったのですが、すこしかじっただけで書棚で眠ったままです。
 
無数の戦場を取材してきたFiskは序文で次のように言っています。「政府は国民に戦争を、善と悪、我々と彼ら、勝利と敗北の対比のドラマとして見るように仕向けている。しかし、戦争の現実は勝利と敗北というより、死とその苦しみである。戦争は人間精神の完全な敗北を意味している」
 

土野繁樹



(35)2015.03.29


 
東京は桜の季節を迎え、すっかり暖かくなりました。もうすぐ満開です。新宿御苑に行きましたが、冬は閑散としていた苑内にたくさんの人がいて、華やかな雰囲気です。外国人観光客も多く、来日者が増えていることを実感できます。シートを敷いてお弁当を広げて、写真を撮って、笑って。日本人も中国人もフランス人も、同じことをしています。花見は平和の象徴です。
 
そう思った瞬間に、「同期の桜」という軍歌を思い出しました。桜を愛でる日本人の季節感と美意識。その繊細さ、そして洗練を、見事なまでに軍事に転用した歌でした。Wikipediaを見ると、原詞は西條八十で、「直接の作詞は、後に回天の第1期搭乗員となる帖佐裕海軍大尉が、海軍兵学校在学中に江田島の『金本クラブ』というクラブにあったレコードを基に替え歌にした」とあります。
 
「咲いた花なら 散るのは覚悟  みごと散りましょう  国のため」
 
桜の美の頂点は、散り際にある。日本人の大多数が納得し共感する情景です。しかし、特攻魚雷・回天の最初期の搭乗員が替え歌で作ったものが、のちに「時局に合った悲壮な曲と歌詞とで、陸海軍を問わず、特に末期の特攻隊員に大いに流行した」(Wikipedia)と聞くと、いたたまれない気持ちになります。戦争の是非を問えず、それでも戦う以上は勝つことをめざすべきなのに、戦略的にほとんど無価値な行為を強いられる。しかも「十死零生」という罪深い作戦です。
 
特攻作戦にどういう「歴史認識」をもつべきなのでしょうか。「同期の桜」が政府や大本営主導で広まったスローガンなら、「時の指導者が悪かった」で済ませることもできます。しかし、「一海軍大尉の替え歌」が広まったところに、問題の根の深さを感じざるをえません。会社でいえば、中間管理職のひとりが、無謀な方針で会社を倒産の危機に直面させる経営者をサポートする替え歌を宴会で歌い、それが組織内に広まり、社歌同然の扱いになるようなものです。
 
こんなことを記すのは、桜の季節からの連想だけではありません。土野さんの公開対話(34)を拝読し、ナチス・ドイツの異常さにあらためて驚愕したからです。ヒットラー暗殺計画は知っていましが、ヒットラーが関係者5000人を処刑したことは知りませんでした。現代史における3大独裁者は、ヒットラー、スターリン、毛沢東であると言われますが、いずれも独裁権力を維持強化するのに「恐怖」を用いたという意味で「官制テロリズム」であったのではないでしょうか。
 
土野さんの連続エッセー(37)「パリは燃えているか?」で、ナチス・ドイツに占領されていたパリの司令官フォン・コルティッツ将軍とスウェーデン総領事ノルドリンクの交渉がなければ、パリは破壊されていたことを知りました。http://lgmi.jp/detail.php?id=2315
 
遅ればせながら、ご紹介の映画『パリよ、永遠に』(原題:Diplomatie)を観ました。素晴らしい映画でした。特に印象に残ることが3つありました。1つは、コルティッツ将軍が自軍のドイツ兵にはドイツ語で、ノルドリンク総領事や滞在ホテルの従業員には流暢なフランス語で話すことです(俳優はフランス人ですね)。これだけで将軍が教養ある人物であることがわかります。
 
それにもかかわらず、彼はヒトラーの命に粛々と従おうとします。ヒトラーが出した‘親族連座法’で家族を人質に取られていたからですが、軍人の家系に生まれたコルティッツにとって、上官の命に従うことは教養の証であると考えていたことが、その言動の端々から伝わってきます。‘親族連座法’という「恐怖」がなかったら、彼はもっと簡単にヒトラーを裏切れたのだろうか。ノルドリンクの説得がなかったとしても。これが2つ目に意識したことです。
 
そして3つ目は、コルティッツが語ったヒトラーの様子です。その目は狂人のそれであったことを、ほとんど無言の演技で伝えます。ヒトラーの恐怖政治(官制テロリズム)は、最後はほんとうに制御不能な状況になっていたことを、これほどリアルに感じさせる描写はないと思いました。
 
ひるがえって日本はどうだったのでしょうか。ヒトラーのような独裁者はいませんでした。天皇も首相も陸海軍の大臣も、大本営も、集団で戦争を遂行した姿は見えても、誰が本当のリーダーで、どのように意志決定し、どのように責任を負っていたのか、曖昧模糊としてわかりません。そのいっぽうで前線の関東軍は暴走。満州事変を起こし、日本を、大きな戦争に巻き込んでいきました。
 
戦時のドイツを「ナチス・ドイツ」と記し、ヒトラー独裁の体制であることを明らかにできるのに対し、戦時の日本にはそのような枕詞がありません。戦後ドイツが戦争の加害行為を徹底して反省し、欧州の復興に積極的に参画できた理由にひとつは、手を差し伸べたフランスの英断があったと思いますが、もうひとつの理由は、「ナチス」と「ドイツ」を峻別する論理を主張できたこともあると思います。
 
ただ、戦時の日本は軍国主義であり、全体主義でしたから、自由がなかったのは間違いありません。昨日終了したNHKの連続テレビ小説『マッサン』でも、主人公の妻エリーが特高警察ににらまれ冤罪でつかまりそうになりました。この時代の「恐怖」を象徴するシーンです。権力が暴走すると、末端の組織も追随するのはどの国も同じかもしれません。土野さんが引用されたRobert Fiskの言葉、「戦争は人間精神の完全な敗北を意味している」は、戦場だけのことではないと感じました。
 
平和な花見から、いろいろな連想をしてしまいました。勘違いもあると思います。土野さんは、歴史から学ばれ、今は隣国フランスからドイツをご覧になって、日独両国の社会や政治をどのように評価していますか。メルケル首相が来日時に語ったスピーチの内容をどう受けとめていらっしゃいますか。欧州から見て、今の日本はどう見えるか、ドイツとの「違い」はどこなのか(そしてなぜ違いがあるのか)、ご教示いただければ幸いです。
 
桜の季節は、出会いと別れの時です。人生の新しい旅を始める人も多い時期です。桜の花が散ったあとも、新緑が青々と茂ります。やがて実が熟し、秋には美しく紅葉します。そして寒い季節につぼみが育っていきます。桜の花言葉には「精神の美」があるそうです。それは散り際だけでなく、桜をめぐる四季のすべてに反映されているのだと思います。
 
梅本龍夫





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